一方、ジョン・レノンはというとどうだったでしょう?
ジョン・レノンが中々複雑な家庭環境で育ったということはファンの間では知られた話ですね。
1940年10月9日、ジョン・レノンはこれもリヴァプールの中心地から少し離れた産院で生まれ、
幼少期はリヴァプール郊外でジョージと同じ地区のニューキャッスルロード9番地で過ごして
います。
この場所はジョージの生家から徒歩で行くと20分くらい離れた場所で元々ジョージとジョンは
ご近所さんだったんですね。
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ジョンの最初の家 ニューキャッスルロード9番地
父親のフレッドは船乗りで年中航海に出ていたため父親の記憶はほとんどなかったみたいですね。
そんな父親ですがこれがビートルズが世界で有名になった後にちょっとした頭痛の種になりますが。
母親のジュリアは確か7人姉妹の末っ子?だったそうでとにかく自由奔放で明るい人だったそうです。
そんなお母さんの事をジョンはとても大好きだったそうですね。
しかしジュリアは幼いジョンを養育出来ないかなんかの理由で自分の姉でジョンの叔母に
あたるミミにあずけてしまいます。いわゆる育児放棄ってやつしょうか。
息子を自分の姉にあたるミミにあずけておきながら自分はすぐ近くに住んでいるというなんとも
複雑な環境で育ったジョン。
このミミというのがこれまたとてもきつい性格の人だったそうでジョンにはとても厳しく当たって
いたそうです。ジョンの最初の奥さんだったシンシアさんも叔母のミミにはたいそう怖い思いを
したと語っていましたから相当に厳しい人だったのでしょう。
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超有名なメンローブアヴェニューの叔母の家
そんな厳し叔母に反抗してジョンはどんどん素行不良のガキ大將になっていってしまいます。
エルヴィスに魅せられ、折からのスキッフルブームで自らクォリーメンというバンドを作り
この頃にはお母さんとも再び逢うようになっていてバンジョーの弾き方とかも教わっていた
そうです。
そんな矢先にジュリアは非番の警察官の不注意運転によって事故死してしまうという出来事に
遭遇します。これはジョンも相当なショックだったようで有れに荒れたそうです。
恐らくジョンはこのトラウマを生涯引きずっていたんじゃないでしょうか?
俺はそんなジョンの心を救ってくれたのがヨーコさんだったんじゃないかと思うのです。
ビートルズ解散後、ソロになってショーンが生まれた後のジョンの表情ってとても
柔和な感じになっている事に気付きませんか?
ジョンは間違いなくヨーコさんを自分の母親に見立てていたと思います。
ジョンがあまりにも大きな存在になってしまった為、とても信じられない最後を遂げてしまいましたが
晩年ヨーコさんと一緒に過ごすことが出来たのはジョンにとってもとても良かったんではないかと
思うのです。
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