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2012年12月24日月曜日

ビートルズファンって・・・


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なんかあんまり仲良くしたくない人が多い。

中にはそうでない人も沢山いるんだけどね。

自分の中でこういうビートルズファンとは相容れないないと思う人の条件ってのがありまして。
それはなにかというと

・未だにヨーコさんがビートルズの解散の原因だと思っている人

・ジョンはロックの人でポールはバラードの人だと思っている人

・ジョージのギターが未だに意味もなく下手だと思っている人

・リンゴのドラムは下手だと思っている人

・ジョージ、リンゴがどれだけビートルズに貢献したのかがよく判っていない人

・ロンドン、リヴァプールのビートルズゆかりの地に落書きをしてくる人

・ビートルズは何をやっても素晴らしいと思っている人(盲目的なファンね)


まあ挙げたらきりがないんですが上記に挙げた中に当てはまる人がいたら正直言って
あまり仲良くはなりたくないなあ。

と思うのです。

ビートルズ解散の話題について その8(最終回)


  例えばジョンはヨーコさんと出会ってなくても遅かれ早かれシンシアさんとは別れて
いたんじゃないかな?

あれだけ強烈な存在だし、そもそもヨーコさんに出会っていてもいなくてもジョンの
人生は波乱万丈だったと思うのです。

ビートルズ以外にも成功したロックバンドは沢山あるけどビートルズは何もかもが
別格だった。

これはミック・ジャガーも認めていてとにかくビートルズに対抗する
なんて不可能だったと、はっきり認めてるもんね。
(ヤン・ウェナーとのインタビューを読んでみて下さい、はっきりと認めてますから)

ビートルズはもうあまりにも大きくなりすぎて膨らみ過ぎた風船が爆発するがごとく
破裂した。もう限界だったんだと思うのです。

その後の人生なんて誰が判る?
もしビートルズが解散してなかったらジョンは射殺されることもなかったなんて誰が言える?

そんな事誰も言えないですよね。

永遠に続くものなんて何一つないんですよ。
確かにビートルズは俺達にとてつもない影響を与えてくれた事は本当に凄いコトだとは
思うけどいい加減盲目にならないで受け入れるべきなんじゃないだろうか?

なんて俺は個人的に思うのです。

終わり

ビートルズ解散の話題について その7


  結局ビートルズって4人が4人とも一つのグループでは収まりきれないくらいそれぞれが
成長していったからグループの解散は必然だったのではないでしょうか?

みんな10代の頃からお互いを知っていて常に何処へいくのも何をするのも4人一緒。
それが8年も10年も続いた事がまず奇跡だったと思うのです。

それも一般人には考えられないくらい濃い人生送ってるんだからね。

だから俺が10代の頃の人間関係が20代、30代になっても同じように続きますかと言ったのは
そういうことなのですよね。そんなの不可能なんですよ。

もしかしたらグループは残したまま各々がソロ活動してまたグループに戻るという選択も
あったかもしれません。でもビートルズはそういう選択をしなかった、ということだった
んじゃないか、と思うのです。

そんなところにヨーコさんが原因だなんて入る余地があるでしょうか?
それでもヨーコさんのせいだと言えますか?

俺は全くそうは思いません。

続く・・・

ビートルズ解散の話題について その6


当時の話を色んな本や映画を観る限り、ヨーコさんはビートルズの曲作りに関して途中から
あれやこれやと意見を言うようになってきたらしいですね。

ポールによるとヨーコさんは「ビートルズは~」という言い方をしていて
「本当はザ・ビートルズなんだけどなあ」なんて内心思っていたらしいんですね。

ジョージもヨーコさんには面と向かってかなりきつい事をはっきり言ったそうだし、
(自分が読んだ本によると「あんたはあんたの知らないところでかなり嫌われてるんだぞ」
みたいなことをかなりはっきりと言ったらしい)

勝手に自分のビスケットを食べたってだけでヨーコさんに対してかなり激怒したらしいから
当時は本当にお互いにイラついてたんでしょうねえ。

実際ゲットバックセッションはメンバーにとっては朝早い上に四六時中カメラが廻っている
状態だったから本当に苦痛だったようでその様子は映画「レット・イット・ビー」にもよく
現れてますよね。

特に有名なのはジョージとポールの口論は有名なシーンですよね。

そしてとうとうプロデューサーのジョージ・マーティンまで匙を投げてしまいますね。

さすがに最後のレコーディングになった「アビイロード」は昔のようなやり方でやるなら
という条件付きでジョージ・マーティンとエンジニアが復帰したみたいですがそれでも
お互いほとんど口をきくこともなくみんな別々に仕事をしていって帰っていったみたい
です。

俺はこのエピソードを読む限り、確かにヨーコさんにも至らない点はあったんだと思います。
自分の仕事に関して全く関係ない赤の他人にあれこれ口出しされたら誰だって嫌でしょう?

だけどヨーコさんがいてもいなくても遅かれ早かれビートルズは解散してたと思うのです。

続く・・・

ビートルズ解散の話題について その5


ヨーコさんは元々日本からニューヨークへ渡り、同地でアーティスト活動を始めます。

今でもそうだけど当時からヨーコさんの芸術作品は中々理解しにくいものです。
理解しにくいけどヨーコさんの作品の基本には全て「愛」があると思うのです。

そこへ当時親交のあった知人からロンドンへ行ってみたらどうかと提案されたそうですね。
ただヨーコさんはニューヨークを離れたくはなかったそうで、しぶしぶロンドンに渡った
そうですけどね。

それでロンドンへ渡り有名なインディカギャラリーで自分の個展を開き、そこにジョンが
立ち寄ったそうです。

当時のヨーコさんはビートルズの存在をあまりよく知らなかったそうでジョンの事も
当然あまり知らなかったらしいです。

ヨーコさんのジョンに対する最初の印象はあまりよくなかったそうです。
恐らくまだ若くてまだリヴァプール時代のテディボーイ気質が抜けてなかったんじゃないで
しょうか。

ところが運命とは判らないものでジョンもヨーコさんもお互いに惹かれあっていくんですね。

元々普通の家庭を望んでいた元妻のシンシアに対して全く対極にあるヨーコさんが現れたもん
だから刺激的な方に惹かれるのは至極当然だったんだと思います。

これはジョンだけじゃなくて誰にでも当てはまる事じゃないんでしょうか?
もちろんすべての人に当てはまる訳ではないけれど。

ただここで今まで暗黙の了解で守ってきたものを崩したのはヨーコさんではなく
ジョンだったように思います。

もうジョンはビートルズというグループの中では収まるのがかなり窮屈になって
きたんでしょう。

続く・・・

ビートルズ解散の話題について その4

 


元々ポールもジョージも10代の頃からジョンを崇拝していたんだな。
二人ともとにかくジョンに気に入られようと躍起になっていうんだから相当に
カリスマ性があったんだろうね。

だから最初は勿論ジョンがグループの中心的存在だったのは言うまでもないですね。

ところがブライアン・エプスタインが亡くなってこのチカラ関係が崩れた時、何かが
狂い始めたんだと思うんですよね。

まずジョンがポールの存在を驚異に思うようになっていった事、ジョージがジョンと
ポールの影で中々自分の曲が採用されないこと、特にポールに口うるさくあれやこれやと
指示される事にジョージがだんだん我慢ならなくなっていった事がでてきた。

そしてリンゴ。リンゴもポールにドラムについてかなりダメだしをされて一度ビートルズを
脱退しているのは今ではもう有名な話ですよね。

もうこうなると誰も手に負えなくなってきますよね。
レコーディングも遅い時間から始まってなんら生産性のない時間を過ごす羽目になって
エンジニアも嫌気が指して辞めてしまう事態にまで発展してしまいます。

もうどうでも良いと思ったのかジョンが当時まだ結婚前のヨーコさんを仕事場に連れてくる
という事件が起きます。

当時仕事場には家族や恋人ですら立ち入りを許されず、どんなに長い事一緒に仕事をしても
レコーディングスタッフとは絶対に食事をしないくらい排他的な4人だったからこれは
本当に一大事だったんでしょう。

続く・・・

ビートルズ解散の話題について その3

ブライアン・エプスタインの存在。

これが4人にとっては想像以上に大きな存在だった事は言うまでもありません。

ブライアンは4人の為に本当に全てを捧げていたのでしょう。
ただ4人がライブツアーを止めてレコーディング活動に専念していくようになった時、
あまりやる事がなくなってしまった。

ただ音楽を作る事に没頭し始めた4人は更なる高みを目指し、ついにはロック界
最大の傑作とも言うべき「サージェント・ペパー~」を作りあげるまでになって
いきます。彼等が同作を作った時点でまだ20代半ば。60年代という時代だった事も
あるかもしれないけど傍からみてもこれは凄い成長ぶりだと思いますよね。

恐らくブライアンは4人の凄まじい成長ぶりについていけなかったんだろうな。

だけどブライアンにとっては4人はいつまでもリヴァプール時代の4人にしか
見えなかったんじゃないか。俺はなんとなくそんな気がするのです。

ところがビートルズがインドに滞在中にブライアンが謎の死を迎えてしまいます。

ここから運命の歯車が狂っていったんじゃないか、なんて個人的に思っているんですね。

というかもしかしたらブライアンが亡くなる前、恐らく「HELP」あたりの頃から
その兆候はもしかしたらあったかもしれませんね。

ブライアンが亡くなった後、ジョンは正直困った事になったと当時の心境を率直に語って
います。今みたいにロックビジネスがちゃんと確立されていない時代だったし、音楽以外
ほとんどをブライアンに任せていた事を今度は自分達でやらないといけなくなったから。

そこへジョンに追いつけ追い越せとばかりに頑張ってきたポールがリーダーとして
台頭してきます。
これが他のメンバーにはあまり快く思わなかったんだな・・・。

続く

ビートルズ解散の話題について その2

イングランド北部の街リヴァプールとイングランド南部にある世界に名だたる大都市ロンドン。

地図を見れば判ると思うけど全く違う場所ですね。

今でも電車で3時間半から4時間くらいかかる距離。
よく言われるのはイングランド南部と北部では色んな面で違う部分がいっぱいあるみたいです。

英語のアクセントも全然違うし、考え方も結構違うみたいです。
尚且つ当時のイギリスではロンドンに住んでいる人達はロンドン以外の場所なんて全く未知の
場所だったらしいです。

そんなリヴァプールからロードマネージャー、マネージャーを除いたらたった
4人でロンドンへ来た訳なんだね。誰も身寄りがいないロンドンで頼れるのは4人だけ。
これじゃあお互いの絆が強くなるのも当然だよね。

その後はご存知の通りビートルズはイギリスだけでなく世界中を熱狂の渦に巻き込む
社会現象になるまでの存在になっていきます。

お互いに置かれた環境も大きく変わっていくし、メンバーそれぞれ色々な交友関係も
変わっていった。

更にはそれぞれ家庭も持ち始め、当然優先順位はそれぞれの家庭になっていくでしょう。

それでもビートルズは当時の他のバンドとは比べ物にならないくらいメンバー同士が
親密だったってエリック・クラプトンも言ってるくらいだから相当人間関係がタイト
だったんだね。

それもマネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなるまでは。

続く・・・。

ビートルズ解散の話題について その1

最近ポール・マッカートニーがあるインタビューで「ビートルズが解散したのはヨーコの
せいではない。」と語ったそうですね。

ビートルズが解散してから40年以上経つというのに未だにこんな事をわざわざ言わないと
いけないと言うことは世間では未だにビートルズが解散した原因はヨーコさんにあると
思っている人が少なからずいるということなんでしょう。

ビートルズ解散の原因だと言っている人は数あるビートルズ関連の映画や本も観たり
読んだりすればビートルズの解散の原因がヨーコさんのせいではないことがよく判る
のになあ。

俺は当事者でもなんでもないから彼らの解散の原因なんて判るはずもない。

ただ判らないなりに色々思うのはこういう事だと思うのです。

なのでここでは自分がビートルズ関連の本や映画を観た自分なりの見解を数回に判って
述べてみたいと思います。

まずリンゴ以外の3人はリヴァプールで10代の頃からお互いを知ってる訳なんだね。

リヴァプールに行けば分かるけど最初はジョンとジョージがご近所さんで小学校が
同じなんだね。まあもっとも当時はお互い面識はなかったみたいだけど。

次にポールとジョージが通学のバスで知り合い、お互いが近所で同じ学校の先輩後輩の
関係だということが判るんだな。

今度はポールが引越しをして同じくおばさんの家に引き取られていたジョンとは
大きな公園を挟んだ近所になるんだね。

それでジョンとポールが出会い、ポールがジョンにジョージを紹介すると。

こうやって4人のうち3人はもうリヴァプール時代から強い絆が出来上がっていたって
ことだ。

その後のハンブルグの修行時代にリンゴと知り合い、そのドラミングが素晴らしい上に
他の3人ともユーモアのセンスが一緒だったと。だからリンゴが加入する前から素晴らしい
バンドだったけどリンゴが加わって更に素晴らしいバンドになり、メンバー間の絆も
更に強くなったんだなあ。

ここでまず自分自身に置き換えてみましょう。

自分が10代の頃に過ごした友人と20代、30代になっても同じような関係を築く事できますか?

続く・・・。

リンゴ・スターのドラムについて(自分が思うこと)


  リンゴ・スターのドラムの何が凄いのか?って考えた時、まあだいたいの人が言う事ってさあ、

   リズムが跳ねてる
   
   ハイハットの刻み方や左利きならではの変わったフィルイン


等色々あると思うんですがね。

確かにね、間違ってはいません、いませんけどね、わたくし最近とみに思うのです。

リンゴ・スターってなぜ偉大なのかって言うとですね、

この人にはドラムプレイの常識というものが最初からないが故にドラムプレイに対する発想がものすごく自由だったから!

だと思うのです。

例を挙げるとですね、これは特に中期から後期の曲に顕著なんだけど

   打面にタオルをまくタオルミュートをしてみたり

   ハイハットなしでスネアだけでリズムを刻んでみたり

   逆にスネアなしにバスドラとハイハットのフットワークだけでリズムを刻んでみたり
   
   初めてハイハットのオープンクローズを試みてみたり

   椅子の高さが以上に高かったりとね


挙げてみるとですねまあ数々のドラムプレイの常識を打ち破ってきた人なんですねえ。

多分、数あるコピーバンドの中でビートルズって世界で一番コピーバンドが多い存在だと
思うんだけど。リンゴのドラムをコピーする時にいくら上手に真似してもこの自由な発想がない
限り絶対にリンゴのドラムにはならないんじゃないかなあ!

あとフィルインを左手から始めないとあの独特のフィルインは絶対に再現出来ないんだなあ。

まあ世界中探してもリンゴみたいなドラムを叩ける人ってだ~れもいないけどねえ。

俺の中でリンゴ・スターってやっぱり特別な存在でね、当然憧れのドラマーの一人なんだけど
だからと言ってプレイスタイルまで真似はしたくないんだよね。

だけどこの人のスピリットだけは真似したいなあと思うのです。
リンゴのあの自由な発想があったからこそあの素晴らしいドラムプレイが出来たんだからね。

そういうところは真似したいよねえ

Free As A BirdとReal Loveについて

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ビートルズのアンソロジーが出てもう随分経つけど今でも当時リリースされた「Free As A Bird」と「Real Love」を聴いてあれをビートルズが復活したとか思った人っているのかな?

やっぱりいるんだろうなあ。一応当時はまだジョージも在命中だったからジョンの音源を元に
残りの三人が集まって作り上げたんだからね、まあ一応はビートルズなんだろうなあ。

でも俺は敢えて異論を唱えたい!

あれはもうビートルズじゃないよ。

「Free As A Bird」と「Real Love」はもうジョンとポールとジョージとリンゴなんだよね?

ビートルズの4人じゃない、もう元ビートルズという肩書きが取れた四人が集まって出来た音
だよね?

俺は何度聴いてもそうとしか思えないんだなあ。

まずこの二曲を聴いて思うのがジョージ・ハリスンの存在が解散以前に比べてとてつもなく
大きくなっていること、リンゴ・スターのドラムがあまりにも個性が強すぎる事、あれだけ
我の強いポールが逆に霞んで見えるくらい、ジョージとリンゴの個性がソロを経て強く
なっているのがよく聴くと判ると思うんです。

特にジョージのギターソロに至ってはビートルズのギターソロというよりはジョージ個人の
ギターソロだもんね。派手さはないけどどこを切ってもジョージ個人のサウンドが確立され
過ぎてるもんね。

でもこれが良い悪いの話じゃなくてね、これで良いんですよね。

そうでなきゃなんの為にビートルズを解散したのかって話になっちゃうもんね。

Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Bandはなぜ世紀の大傑作なのか


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他のビートルズのアルバムと比べて比較的馴染み曲があまり入っていないし、
コンセプトアルバムとして聴いても同アルバムよりももっとよく出来たアルバムって
いっぱいあるのに(The WhoやPink Floydの一連のアルバムとか)なぜビートルズのアルバム
「Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band」は世紀の大傑作だと言われているのでしょうか?

なんでだと思います?

まあこれは俺個人の意見なんですがこのアルバムって当時としては曲、歌、アルバムジャケット、演奏、レコーディング技術全てにおいて画期的だったんだと思うのです。

それと今でもそうですがミュージシャンにとってライブを完全に止めるとというのはある意味
自殺行為でもあるのにそれをあえてライブツアーをやらないという事を決めた事、

当時の他のレコーディングスタジオは既に6チャンネルから8チャンネルくらいのレコーディング機材はあったそうなのですが当時のアビイロードスタジオは4チャンネルの機材しかなかった
事。

これにプラス、メンバー4人とレコーディングスタッフの飽くなきチャレンジ精神がこの
逆境を跳ね除けた結果が世紀の大傑作に繋がったんだと思うのです。

同アルバムがリリースされた後、沢山のアーティストが素晴らしいコンセプトアルバムが
出てるから自分みたいに後追いでこのアルバムを聴いた人はこのアルバムを聴いても何か
物足りないなあと思うのも無理もない話だと思います。

それでもこのアルバムは全てにおいて先駆けだった事は言うまでもない事実なのですね。

でも俺はビートルズのアルバムで一番好きかと聞かれたら決して一番好きなアルバムでは
ないのも事実なんですね。

やっぱりビートルズってどこまでいっても俺の中では4人組のロックバンドでしかなく、
それ以上でもそれ以下でもないと思っているからか、このアルバムには4人の姿があまり
見えないなあという印象があるからどうしても一番好きとは言えないのです。

だからビートルズ中期のアルバムだと「Revolver」の方がまだ好きなんだなあ。


LENNON NYC

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ジョン・レノンのビートルズ解散後、アメリカに渡った70年代から殺害されるまでの10年に焦点を
絞った珍しいドキュメントですね。

内容的には何度も語られてきた事ばかりだったから今更新しい真実を知ったとかそういうことは
なかったけれどね。

ジョン・レノンを語るのは実は簡単なようでとても難しいんだよなあ。

というのもジョン・レノンって単純そうに見えて実はもの凄い複雑なパーソナリティの持ち主だと思う
からなんですよね。

まあね、たった40年ですけど波乱万丈の人生ですよね、この人も。
映画を観て思ったのはとにかく直情径行型で思い立ったら吉日じゃないけどすぐに行動しないと
いられない人だったんですね、ジョン・レノンって。
そして生粋のリーダーというよりガキ大將なんですよね。

だけど観ていくうちに思ったのはこの人は内面の弱さをとことん強がりで隠してた事がよくわかる
んだよなあ。

この人はソロになってもレコーディングでは強いリーダーシップでセッションミュージシャン達を
引っ張っていたのも確かなんですけど本当の一人になるとどこまでも弱い部分が見え隠れしてしまう
まあなんとも素直な人なんだよなあ。

そういう部分がファンにとってはとても魅力的に映るし、異論はあるけどこの人は本当にヨーコさん
抜きでは生きていけなかったと思うなあ。

それだけに80年代になってさあこれからという時にあんな最後を遂げてしまったのは本当に残念で
なりませんよね。

というのも晩年のジョンの表情って何か憑き物が落ちたのかと言いたくなるほどやる気が漲って
いるんだもん。

本当にあのバカ野郎、なんてことしてくれたんだって感じだよね。

もうジョンは永遠に帰ってこないんだから。

だからこのドキュメントを観て俺たちはなんて偉大な人物を失ったのかと呆然としてしまうのです。

全ては家族愛に繋がる その2

一方、ジョン・レノンはというとどうだったでしょう?

ジョン・レノンが中々複雑な家庭環境で育ったということはファンの間では知られた話ですね。

1940年10月9日、ジョン・レノンはこれもリヴァプールの中心地から少し離れた産院で生まれ、
幼少期はリヴァプール郊外でジョージと同じ地区のニューキャッスルロード9番地で過ごして
います。

この場所はジョージの生家から徒歩で行くと20分くらい離れた場所で元々ジョージとジョンは
ご近所さんだったんですね。

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 ジョンの最初の家 ニューキャッスルロード9番地

父親のフレッドは船乗りで年中航海に出ていたため父親の記憶はほとんどなかったみたいですね。
そんな父親ですがこれがビートルズが世界で有名になった後にちょっとした頭痛の種になりますが。

母親のジュリアは確か7人姉妹の末っ子?だったそうでとにかく自由奔放で明るい人だったそうです。
そんなお母さんの事をジョンはとても大好きだったそうですね。

しかしジュリアは幼いジョンを養育出来ないかなんかの理由で自分の姉でジョンの叔母に
あたるミミにあずけてしまいます。いわゆる育児放棄ってやつしょうか。

息子を自分の姉にあたるミミにあずけておきながら自分はすぐ近くに住んでいるというなんとも
複雑な環境で育ったジョン。

このミミというのがこれまたとてもきつい性格の人だったそうでジョンにはとても厳しく当たって
いたそうです。ジョンの最初の奥さんだったシンシアさんも叔母のミミにはたいそう怖い思いを
したと語っていましたから相当に厳しい人だったのでしょう。


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 超有名なメンローブアヴェニューの叔母の家

そんな厳し叔母に反抗してジョンはどんどん素行不良のガキ大將になっていってしまいます。

エルヴィスに魅せられ、折からのスキッフルブームで自らクォリーメンというバンドを作り
この頃にはお母さんとも再び逢うようになっていてバンジョーの弾き方とかも教わっていた
そうです。

そんな矢先にジュリアは非番の警察官の不注意運転によって事故死してしまうという出来事に
遭遇します。これはジョンも相当なショックだったようで有れに荒れたそうです。

恐らくジョンはこのトラウマを生涯引きずっていたんじゃないでしょうか?
俺はそんなジョンの心を救ってくれたのがヨーコさんだったんじゃないかと思うのです。

ビートルズ解散後、ソロになってショーンが生まれた後のジョンの表情ってとても
柔和な感じになっている事に気付きませんか?

ジョンは間違いなくヨーコさんを自分の母親に見立てていたと思います。
ジョンがあまりにも大きな存在になってしまった為、とても信じられない最後を遂げてしまいましたが
晩年ヨーコさんと一緒に過ごすことが出来たのはジョンにとってもとても良かったんではないかと
思うのです。



全ては家族愛に繋がる その1

ジョージ・ハリスンの映画を観るとジョージが人懐こく愛情溢れる人柄に溢れた人だったというのは
よく判ると思うのですがこの映画を観て俺はふと思うことがあるのです。

それはジョージの人としてのルーツが全てはリヴァプールで育まれた家族の愛情から来ているからだと
いうことです。

ジョージ・ハリスンは1943年2月25日、リヴァプールの郊外のウェイヴァートリー地区という
労働者階級のエリアにあるアーノルドグローブ12番地の小さな長屋で4人兄弟の末っ子として
生まれました。

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  ジョージの生家 アーノルドグローブ12番地

この映画には冒頭にジョージの二人の兄貴が出てきますが実は3人兄弟ともう一人アメリカに
移住した一回り近く離れたお姉さんがいるんですよね。


因みにジョージの2番目の兄のピーターはジョン・レノンと同級生で小学校時代はジョンと
同じクラスだったそうな。当時はジョージも同じ小学校だったそうですがなにせ3歳離れて
るから当時は全く面識はなかったらしいけど。

それはさておきジョージのお母さんのルイーズさんというのはとても優しく愛情溢れた人
だったそうです。
ギターに夢中になるジョージを叱咤激励しながら影でずっと支えていたそうなんですね。

そしてこんなエピソードも聞いたことがあります。

ビートルズがハンブルグ時代に知り合ったドイツ人のアストリット・キルヒヘアという女性が
当時のバンドメンバーで恋人だったスチュアート・サトクリフが脳溢血で若くして急死して
しまい、失意のどん底にあった彼女がスチュアートの実家を訪れた事があるそうです。
なんでもスチュアートの実家は中々厳しい家庭だったようでドイツ人のアストリットにも随分と
辛くあたったそうです。

ところがそんなアストリットを見るに見かねたジョージはアストリットを自分の自宅を招待した
そうです。

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 ジョージの2番目の家

その時、悲しみにくれるアストリットにお母さんのルイーズさんはこんな言葉を掛けてくれた
そうです。

「いつでも遊びに来てね、ここを自分の家だと思っていいのよ。」と。

そんなジョージのお母さんにアストリットはだいぶ心が救われたそうです。

こんな話もありますね。
まだビートルズがキャヴァーンでプレイしていた時、若いファンに混じって一緒に楽しんで
いたそうですね。更にビートルズに熱狂する若いファンの人達にもとても親しくしていた
らしいですね。

ルイーズさんはステージ上で必死にギターの演奏に勤しむ末っ子のジョージをとても誇りに
していたんだと思います。

こういう微笑ましいエピソードを聞くとなるほどなあ、ジョージってほんとに愛情溢れる両親に
育てられたんだなあと、そういう家庭環境がジョージの後の人格形成に大きく関わっていたんだなあ
と思うのです。

よく考えたらジョージ以外のビートルズのメンバーって両親が離婚していたり片親だったりしてる
んだよね。

どうですか、こういう話を聞くとジョージ・ハリスンのパーソナリティをまた違った角度から
見ることが出来るんじゃないでしょうか?

ジョージ・ハリスン リヴィング イン ザ マテリアル ワールド

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観ました、ジョージの映画。

マーティン・スコセッシ制作と知った時から素晴らしい映画になること間違いないと
思っていたけどやっぱりその通りでしたね。

いや素晴らしい映画でした。

観てない人もいるから詳しい内容は省くとしてですね、俺はこの映画が単純に時系列に進めていく
よくあるドキュメントとちょっとはちょっと違うと思います。

なぜならこの映画はジョージの人生をある程度時系列に進めていきながらジョージの人柄や
人生観等について愛を込めて讃えている映画だと思うからなのです。

この映画にはジョージの愛情溢れる人柄と制作に関わったすべての人達のジョージへの愛情が
沢山伝わってくるそんな映画だと思います。

機会があったらぜひ一度観て欲しい映画です、ジョージが好きな人もそうでない人もね。

ダウンタウンとビートルズの共通点

俺は前からダウンタウンとビートルズってなんか共通点があるような気がしてたんですよね。

例えば


ビートルズの故郷、イギリスの北部の港町、リヴァプール。

ビートルズ本人が語っているように港町だけあって荒くれ者の多い町で喧嘩沙汰も頻繁に
あるイングランド北部でもかなり物騒な街である。

確かにミドルクラスの人達が住むエリアはいいけどワーキングクラスの人達が住むエリアは
やっぱりどこか街並みもどんよりとしているし雰囲気もあんまりいいものではなかったかな。

もっと言ってしまえばビートルズとサッカーチームがなければまず旅行に行くような場所では
ない街だよね。

ビートルズの4人はそんな環境で育ってるからやっぱりタフだしなによりもユーモアのセンスが
半端ないよね!


一方ダウンタウンの二人の故郷、兵庫県尼崎市。その尼崎市でも彼等が育った場所は学校内に
空気清浄機があるほど空気が汚れている工業地帯の出身。

よくダウンタウンが番組で尼崎に行ったりしてるけど二人が育った場所は尼崎でも
本当に下町情緒が未だに残ったエリア。
いわゆる完全なワーキングクラスの地域ですよね。行ったことはないけれど。

多分日本人でもわざわざ旅行で行くようなところではないよね。

ダウンタウンもだからそんな環境で育っているからやっぱり強いしお笑いのレベルも尋常じゃ
ないんだよな。

だって自分で自分の事を笑い飛ばしてないとやってられないようなところがあったって本人達も
言ってるしね。

こう考えるとなんか共通点があると思いませんか?




俺が思うに60年代当時のビートルズとその他のイギリスのロックバンドの決定的な違いって
ビートルズってね、ユーモアのセンスがあってみんな明るいってとこなんだな。

ストーンズとかはなんかちょっとこう暗いというかね、それはキンクスやフーなんかもそう。
ここが大きな違いなんじゃないかな。

ダウンタウンも同じことが言えるよね。

やっぱり環境が彼らを育てたというのかな、そりゃね、子供の頃から毎日30キロ程度のバーベルしか
持ち上げているような人達がね、毎日100キロのバーベルを持ち上げてた人達にね、どうやっても
勝てるわけないですよ。ここがダウンタウンが今でもお笑いの頂点に君臨してる何よりの証拠だと
思うんだよな。