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2012年12月24日月曜日

ビートルズファンって・・・


fattydrummerguy long live rock



なんかあんまり仲良くしたくない人が多い。

中にはそうでない人も沢山いるんだけどね。

自分の中でこういうビートルズファンとは相容れないないと思う人の条件ってのがありまして。
それはなにかというと

・未だにヨーコさんがビートルズの解散の原因だと思っている人

・ジョンはロックの人でポールはバラードの人だと思っている人

・ジョージのギターが未だに意味もなく下手だと思っている人

・リンゴのドラムは下手だと思っている人

・ジョージ、リンゴがどれだけビートルズに貢献したのかがよく判っていない人

・ロンドン、リヴァプールのビートルズゆかりの地に落書きをしてくる人

・ビートルズは何をやっても素晴らしいと思っている人(盲目的なファンね)


まあ挙げたらきりがないんですが上記に挙げた中に当てはまる人がいたら正直言って
あまり仲良くはなりたくないなあ。

と思うのです。

ビートルズ解散の話題について その8(最終回)


  例えばジョンはヨーコさんと出会ってなくても遅かれ早かれシンシアさんとは別れて
いたんじゃないかな?

あれだけ強烈な存在だし、そもそもヨーコさんに出会っていてもいなくてもジョンの
人生は波乱万丈だったと思うのです。

ビートルズ以外にも成功したロックバンドは沢山あるけどビートルズは何もかもが
別格だった。

これはミック・ジャガーも認めていてとにかくビートルズに対抗する
なんて不可能だったと、はっきり認めてるもんね。
(ヤン・ウェナーとのインタビューを読んでみて下さい、はっきりと認めてますから)

ビートルズはもうあまりにも大きくなりすぎて膨らみ過ぎた風船が爆発するがごとく
破裂した。もう限界だったんだと思うのです。

その後の人生なんて誰が判る?
もしビートルズが解散してなかったらジョンは射殺されることもなかったなんて誰が言える?

そんな事誰も言えないですよね。

永遠に続くものなんて何一つないんですよ。
確かにビートルズは俺達にとてつもない影響を与えてくれた事は本当に凄いコトだとは
思うけどいい加減盲目にならないで受け入れるべきなんじゃないだろうか?

なんて俺は個人的に思うのです。

終わり

ビートルズ解散の話題について その7


  結局ビートルズって4人が4人とも一つのグループでは収まりきれないくらいそれぞれが
成長していったからグループの解散は必然だったのではないでしょうか?

みんな10代の頃からお互いを知っていて常に何処へいくのも何をするのも4人一緒。
それが8年も10年も続いた事がまず奇跡だったと思うのです。

それも一般人には考えられないくらい濃い人生送ってるんだからね。

だから俺が10代の頃の人間関係が20代、30代になっても同じように続きますかと言ったのは
そういうことなのですよね。そんなの不可能なんですよ。

もしかしたらグループは残したまま各々がソロ活動してまたグループに戻るという選択も
あったかもしれません。でもビートルズはそういう選択をしなかった、ということだった
んじゃないか、と思うのです。

そんなところにヨーコさんが原因だなんて入る余地があるでしょうか?
それでもヨーコさんのせいだと言えますか?

俺は全くそうは思いません。

続く・・・

ビートルズ解散の話題について その6


当時の話を色んな本や映画を観る限り、ヨーコさんはビートルズの曲作りに関して途中から
あれやこれやと意見を言うようになってきたらしいですね。

ポールによるとヨーコさんは「ビートルズは~」という言い方をしていて
「本当はザ・ビートルズなんだけどなあ」なんて内心思っていたらしいんですね。

ジョージもヨーコさんには面と向かってかなりきつい事をはっきり言ったそうだし、
(自分が読んだ本によると「あんたはあんたの知らないところでかなり嫌われてるんだぞ」
みたいなことをかなりはっきりと言ったらしい)

勝手に自分のビスケットを食べたってだけでヨーコさんに対してかなり激怒したらしいから
当時は本当にお互いにイラついてたんでしょうねえ。

実際ゲットバックセッションはメンバーにとっては朝早い上に四六時中カメラが廻っている
状態だったから本当に苦痛だったようでその様子は映画「レット・イット・ビー」にもよく
現れてますよね。

特に有名なのはジョージとポールの口論は有名なシーンですよね。

そしてとうとうプロデューサーのジョージ・マーティンまで匙を投げてしまいますね。

さすがに最後のレコーディングになった「アビイロード」は昔のようなやり方でやるなら
という条件付きでジョージ・マーティンとエンジニアが復帰したみたいですがそれでも
お互いほとんど口をきくこともなくみんな別々に仕事をしていって帰っていったみたい
です。

俺はこのエピソードを読む限り、確かにヨーコさんにも至らない点はあったんだと思います。
自分の仕事に関して全く関係ない赤の他人にあれこれ口出しされたら誰だって嫌でしょう?

だけどヨーコさんがいてもいなくても遅かれ早かれビートルズは解散してたと思うのです。

続く・・・

ビートルズ解散の話題について その5


ヨーコさんは元々日本からニューヨークへ渡り、同地でアーティスト活動を始めます。

今でもそうだけど当時からヨーコさんの芸術作品は中々理解しにくいものです。
理解しにくいけどヨーコさんの作品の基本には全て「愛」があると思うのです。

そこへ当時親交のあった知人からロンドンへ行ってみたらどうかと提案されたそうですね。
ただヨーコさんはニューヨークを離れたくはなかったそうで、しぶしぶロンドンに渡った
そうですけどね。

それでロンドンへ渡り有名なインディカギャラリーで自分の個展を開き、そこにジョンが
立ち寄ったそうです。

当時のヨーコさんはビートルズの存在をあまりよく知らなかったそうでジョンの事も
当然あまり知らなかったらしいです。

ヨーコさんのジョンに対する最初の印象はあまりよくなかったそうです。
恐らくまだ若くてまだリヴァプール時代のテディボーイ気質が抜けてなかったんじゃないで
しょうか。

ところが運命とは判らないものでジョンもヨーコさんもお互いに惹かれあっていくんですね。

元々普通の家庭を望んでいた元妻のシンシアに対して全く対極にあるヨーコさんが現れたもん
だから刺激的な方に惹かれるのは至極当然だったんだと思います。

これはジョンだけじゃなくて誰にでも当てはまる事じゃないんでしょうか?
もちろんすべての人に当てはまる訳ではないけれど。

ただここで今まで暗黙の了解で守ってきたものを崩したのはヨーコさんではなく
ジョンだったように思います。

もうジョンはビートルズというグループの中では収まるのがかなり窮屈になって
きたんでしょう。

続く・・・

ビートルズ解散の話題について その4

 


元々ポールもジョージも10代の頃からジョンを崇拝していたんだな。
二人ともとにかくジョンに気に入られようと躍起になっていうんだから相当に
カリスマ性があったんだろうね。

だから最初は勿論ジョンがグループの中心的存在だったのは言うまでもないですね。

ところがブライアン・エプスタインが亡くなってこのチカラ関係が崩れた時、何かが
狂い始めたんだと思うんですよね。

まずジョンがポールの存在を驚異に思うようになっていった事、ジョージがジョンと
ポールの影で中々自分の曲が採用されないこと、特にポールに口うるさくあれやこれやと
指示される事にジョージがだんだん我慢ならなくなっていった事がでてきた。

そしてリンゴ。リンゴもポールにドラムについてかなりダメだしをされて一度ビートルズを
脱退しているのは今ではもう有名な話ですよね。

もうこうなると誰も手に負えなくなってきますよね。
レコーディングも遅い時間から始まってなんら生産性のない時間を過ごす羽目になって
エンジニアも嫌気が指して辞めてしまう事態にまで発展してしまいます。

もうどうでも良いと思ったのかジョンが当時まだ結婚前のヨーコさんを仕事場に連れてくる
という事件が起きます。

当時仕事場には家族や恋人ですら立ち入りを許されず、どんなに長い事一緒に仕事をしても
レコーディングスタッフとは絶対に食事をしないくらい排他的な4人だったからこれは
本当に一大事だったんでしょう。

続く・・・

ビートルズ解散の話題について その3

ブライアン・エプスタインの存在。

これが4人にとっては想像以上に大きな存在だった事は言うまでもありません。

ブライアンは4人の為に本当に全てを捧げていたのでしょう。
ただ4人がライブツアーを止めてレコーディング活動に専念していくようになった時、
あまりやる事がなくなってしまった。

ただ音楽を作る事に没頭し始めた4人は更なる高みを目指し、ついにはロック界
最大の傑作とも言うべき「サージェント・ペパー~」を作りあげるまでになって
いきます。彼等が同作を作った時点でまだ20代半ば。60年代という時代だった事も
あるかもしれないけど傍からみてもこれは凄い成長ぶりだと思いますよね。

恐らくブライアンは4人の凄まじい成長ぶりについていけなかったんだろうな。

だけどブライアンにとっては4人はいつまでもリヴァプール時代の4人にしか
見えなかったんじゃないか。俺はなんとなくそんな気がするのです。

ところがビートルズがインドに滞在中にブライアンが謎の死を迎えてしまいます。

ここから運命の歯車が狂っていったんじゃないか、なんて個人的に思っているんですね。

というかもしかしたらブライアンが亡くなる前、恐らく「HELP」あたりの頃から
その兆候はもしかしたらあったかもしれませんね。

ブライアンが亡くなった後、ジョンは正直困った事になったと当時の心境を率直に語って
います。今みたいにロックビジネスがちゃんと確立されていない時代だったし、音楽以外
ほとんどをブライアンに任せていた事を今度は自分達でやらないといけなくなったから。

そこへジョンに追いつけ追い越せとばかりに頑張ってきたポールがリーダーとして
台頭してきます。
これが他のメンバーにはあまり快く思わなかったんだな・・・。

続く