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2011年10月7日金曜日

世界一のマザコンだったジョンとポール

ジョン・レノンはヨーコさんと出会ってからどこへいくにも常に一緒だった。あの「失われた週末」と
言われた時期を除いては。

ポール・マッカートニーはリンダさんと結婚してからリンダさんが亡くなるまで片時も離れる事がなかった。あの80年の来日で大麻所持で日本で収監されてしまった数日を除いては。

恐らくジョンはヨーコさんに、ポールはリンダさんに自分の母親を見ていたんではないでしょうか?

ジョンとポールは二人とも早いうちに母親を亡くしている。

この事実が二人の絆をより深めたんではないかという人もいる。恐らくそれは事実の一つではないかと思います。

でなかったらこんなに片時も離れないでいられるなんてちょっと普通ではないですよね。

勿論ジョンもポールも世界中の人が知っている超有名人だから我々一般人と比べられるものでは
ないんだけどね。

まあだからそれがどうしたと言われたら何も言えないんだけどね、何となく前からそう思っていたので書いてみました。

カヴァー曲に見るビートルズのルーツ その2

ビートルズのカヴァー曲を色々聴いて思ったのはとにかくジョン・レノンの歌の力がとにかく
半端じゃなく凄いなあっていう事だね。

何でも歌いこなす凄まじいまでの才能にはとにかく驚くばかり!

これはビートルズ解散後のソロの時代も全く色褪せてなくてこの人はほんとに凄いなあとしか
言いようがないのだ!


例えばリトル・リチャードの曲を例に出すと、リトル・リチャードのカヴァー曲イコール
ポール・マッカートニーってイメージが強いかもしれないけれどとんでもない!

ポールの歌もかなり凄いレベルだけどデビュー当時のポールの歌を聴くとまだまだリトル・リチャード
本家には追いついてないと思う。

だけどジョンが歌うとリトル・リチャードやチャック・ベリー、バディ・ホリーの曲も
オリジナル以上にかっこよくなってたりする。

ジョンが例のロックンロールアルバムセッションのアウトテイクを聴くとそれが如実に判るよ。

機会があったら聴いてみるべし

カヴァー曲に見るビートルズのルーツ その1

最近、ビートルズが活動中にカヴァーした曲のオリジナル曲を探してみようと思って集められる
限りの曲を集めてみた。(暇だねえ俺も!)

ビートルズがデビューから解散するまでの時期に彼らがカヴァーした曲って数えてみると
だいたい5,60曲くらいある。ハンブルグ時代も含めたらもっとあるかもしれないけどね。

圧倒的に多いのがやっぱりチャック・ベリーの曲ですね。
その次に多いのがリトル・リチャード、カール・パーキンス、バディ・ホリーってな感じで
続くんだけどね。

面白いのはビートルズってチャック・ベリーみたいなロックンロールだけじゃなくてとにかく
色んなタイプの曲をチョイスしてカヴァーしてるんだなっていうのがよく判ったね。
これって以外と判ってるようで判っていない人、多いんじゃないかなあ。

とにかくカヴァー曲のジャンルの幅が広い!ロックンロールもあればモータウンもあるし、
映画の主題歌みたいなものもあるし、ソウルもある。

特にハンブルグ時代は1日8時間近くステージで演奏してたわけだから当然持ち歌も限界が
くるし、とにかく色んな曲を探して演奏しないといけないという事情もあったとは思うけどね。

でもこれが後になって彼等にとって相当な力になるんだね。

デビューからたった数年で「サージェント・ペパー〜」みたいな大傑作アルバムが
出来る上でも相当な力になってたんではないでしょうか?

俺はそう思うなあ。

2011年8月7日日曜日

ビートルズを知らない世代

最近ネットのニュースで見たんだけど今の10代の世代では既にビートルズを知らない世代が
いるんだそうだ。

イギリスでは既にジョン・レノンを知らない世代もいるらしい。

なんでもツィッターである投稿者が「ビートルズって何?」というつぶやきから始まってちょっとした話題になっていたらしい。

その意見の中に「ビートルズを知らないなんてどうかしてる」、「それはいくらなんでもないんじゃないか」とかかなり否定的な意見が多かったと聞く。

たしかに解散から40年近く経っているにも関わらず未だに世界中を熱狂させているビートルズを知らないなんて確かに悲しい事ではあるけれど、冷静に考えてみてほしい。

逆に世界中全員がビートルズを知っているなんて事の方が却って不気味じゃないだろうか?

俺から言わせればモーツァルトやベートーベンを知らないのと同じ事なんじゃないかな。

在名中のポールとリンゴは既に孫がいる世代だし、今の10代の人にとったらおじいちゃんに当たる人の音楽を聴いた事がないなんてある意味当然の話ではないかと思うんだけどな。

だからビートルズを知らない世代がいるからってそんなに驚くことではないんだよ。

2011年7月26日火曜日

Liverpoolの思い出 その3

リヴァプールを訪ねてみて思ったのは、ビートルズがリヴァプール出身じゃなかったらここまで
成功していなかったんではないか?ということだ。

なぜなら彼らは北部のタフな街リヴァプールで育ったからこそ、類い稀なるユーモアのセンス
を身につける事が出来たわけだし、ロンドンで働いている人達や育った人達から観たら
まるで違う人種に見えたから却って新鮮に写ったんだと思うのだ。

2011年7月21日木曜日

Liverpoolの思い出 その2

リヴァプールに滞在していた時は、徒歩、車、自転車の3種類を移動の手段としていました。

レンタカーは手違いで予約されていなかった為、なぜかベンツに乗って廻っていたんだけど、
イギリスは日本と同じ左車線走行なので大丈夫だったんだけど日本と違うのは信号が
日本の場合、横向けなのに対してイギリスの場合、縦向きになっているので信号がどこに
あるのか判りにくかったくらいかな、最初戸惑ったのは。

車ではずいぶんと遠くまで行ったなあ、ペニー・レインは勿論、空港の近くにあるスピーク、
カスバコーヒークラブがあるウエストダービーまで廻った。

自転車は自転車でまたこれが良くってね、ゆっくり走りながら街並みを観てたんだけど
まあ寂れてるんだ街が!

いたるところ閉店したパブやスーパーがそのままでさあ。

ただこうして自分の目で彼らが育った街を観れたのは本当にいい体験だった。

4人の育ったそれぞれの地域、ジョンとポールが初めて出会った教会、キャバーンクラブや
ジャガランダ等彼らが精力的にライブをしていた場所等、4人の思い出が沢山詰まった街、
リヴァプール。

小さな街なのでもう来ることもないと思うんだけど街を去る時になるとまた来たくなる街、
リヴァプール。

本当にいい体験が出来たなあと今になってしみじみ思うのだ。

続く・・・

Liverpool旅行の思い出

個人的な話だがリヴァプールへは過去2回訪れたことがあります。

最初は友達と二人で、2回目は一人で。

ロンドンはユーストン駅からのほぼ始発の電車で向かったのですがもう電車に乗った瞬間から
もうもうわくわくしっぱなしで終点のライムストリート駅に着いた時の感動ったらもう・・・。

言葉に出来ません、あの感動は。

リヴァプールはイングランド北部の港町という事もあって船乗りの人が多いせいか、タフな人が
多い。残念ながらイングランドの中でも比較的犯罪の多い町でもある。

ビートルズのメンバーの中でもジョンとジョージの父親は元々船乗りだしね。
(但しジョージの父親は後にバスの運転手になるんだけどね)

北部ということもあって冬はとんでもなく寒くなるそうだし、荒くれ者も多いし住むには
中々厳しい町のようです。

リヴァプールに初めて訪れてからほぼ10年くらい過ぎた時に2回目に行ったんだけど
自分でもびっくりしたのはライムストリート駅からマシューストリートのキャバーンクラブまで
地図なしで歩いて行けちゃった事。

それだけ自分の中で強烈に印象に残った旅行だったってことだね。

続く・・・

2011年7月19日火曜日

ビートルズとの出会い その4

とにかくこの「Yellow Submarine」はよく聴きましたねえ。さすがに片面のオーケストラの方は
あまり聴かなくなったけど。

それから今度は小遣いを貯めてはちょっとずつビートルズのアルバムを買い集めていくように
なりました。

「A Hard Day's Night」、「Rubber Soul」、「Abbey Road」と。
それからはもうビートルズの世界へ一直線でしたねえ。自分の世界がビートルズ一色に
なったのは言うまでもありません。

その当時から今に至るまで多少の寄り道もあったけどビートルズから離れることは一度も
なかったように思います。

とにかくビートルズは素晴らしい!何よりも歌が素晴らしいしメンバーのキャラもみんな魅力的なことは言うまでもありません。



という訳で俺とビートルズとの出会いについてでした。
次回の更新はいつになるか判らないけど時間をみては更新していきますので
よろしくです

ビートルズとの出会い その3

なぜだか俄然「Yellow Submarine」に興味を惹かれた俺はまだ在命中だった祖父に
お願いしてアルバムを買ってもらう事になりました。それが確か小学校6年生か中学1年の時
だったと思います。

確か祖父がクリスマスプレゼントに何がいいかと聞かれたのでビートルズのアルバムが欲しい
とお願いしたと思います。

今でこそビートルズについてはだいぶ詳しくなりましたが当時は同曲が「Revolver」というアルバム
に収録されているなんてしらなかったからとにかく「Yellow Submarine」という曲が収録されている
アルバムが欲しいと言って祖父が買ってきたアルバムが「Yellow Submarine」のアニメ映画のサントラだったんです。

そうです、片面がビートルズの曲で片面がジョージ・マーティン作曲のオーケストラが収録されている
例のやつです(笑)。

多分世界中にいるビートルズファンの中でもこのアルバムを最初に買う奴なんて俺くらいでしょう。

それでも俺は今まで聴いた事がないビートルズの曲が聴けるという事でこのアルバムを買ってもらたときはほんとに嬉しくて仕方がありませんでした。そして何よりもこのアルバムで念願だった
「Yellow Submarine」が聴けるんですから嬉しくない訳がありませんし半分オーケストラのアルバム
だろうが俺にとってはほんとにどうでもいいことでした。



続く・・・

ビートルズとの出会い その2

当時俺が住んでいたのは関東の某県のとんでもない田舎でした。
周り一面栗畑と梨畑しかなく、挙句の果てにはカブトムシを育てるビニールハウスまで
あるようなとにかくとんでもない田舎だったんです。

だから洋楽に関する情報なんてどうやって探すの?っていうほど何もないところでした。
そんな状況ながらちょっとずつビートルズについて判ってきました。

イギリスはリヴァプールという街出身の4人組で「Yesterday」、「Let It Be」、「Hey Jude」とか世界中で有名な歌が沢山あるバンド等。

ある程度判ってきたら今度は必然的に歌を聴きたくなるのが自然の流れですよね?
それからはラジオで流れるビートルズの曲をとにかくチェックするようになりました。

色々聴いていくうちにこれは今でも不思議なんですがどういう訳だか「Yellow Submarine」という
歌に俄然興味を惹かれる事になったんです。

続く・・・

2011年7月18日月曜日

ビートルズとの出会い

さ〜てとは言うものの何から書いていきましょうかねえ・・。

そしたらまあ、俺がビートルズを始めて知った経緯からいきますかね。


元々ビートルズを知った経緯は俺が小学校6年生の時にTBSで再放送していた
「ザ・モンキーズショウ」という番組がきっかけでした。

英語の歌を聴く機会なんて全然なかった小学生だった自分にとって「ザ・モンキーズショウ」
という番組はほんとに衝撃的でした。それはモンキーズのメンバーが魅力的だったこともさることながらそれ以上になんといっても番組中に流れる歌がとにかく素晴らしかったのです!
ところが色々調べていくうちにそのモンキーズというグループはアメリカ版ビートルズを作ろうという事で全米からオーディションで出来たバンドだということが判りました。

そうなると当然「ビートルズってなんだ?」という疑問がわいてきます。

続く・・・

自己紹介から

はじめまして。

この度、俺が個人的に思うビートルズについてをここに残していこうかなと思い、こちらで別に
ブログを始めました。

中学1年の時にビートルズの存在を始めて知ってからかれこれ30年近くになります。
その間にも自分の学生時代にはヘヴィメタルやニューロマンティックブーム等があって
多少の寄り道もしたにはしたけれど今に至るまでずっとハマリっぱなしなのはビートルズ
だけなんだよね。

それだけ魅力のあるバンドだから今に至るまでずっとファンでいられると思うんです。
ただそんなビートルズでも決して完璧な存在ではないわけです。

なのでここでは良いところも悪いところ(まあ悪いところってあんまり無いけど)も含めて俺が
個人的に思うビートルズについてをここで残していけたらと思うのです。

あくまでも俺が個人的に思うことですので正しいも間違いもないですからね、どこかでこの
ブログを見つけたらまあ気楽に眺めていってくださいな。


それではよろしくお願いします。